風のつぶやき! 南摩ダム・日帰り温泉などの情報

風の吹くまま、気の向くままに!

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「日陰の村」

20041110190649.jpg



先日、石川達三の小説「日陰の村」(昭和12年新潮へ発表)を読んだ。
石川達三は、ブラジル移民問題を題材にした「蒼氓」で第一回芥川賞を受賞した小説家である。
「日陰の村」は官の一方的な発想によってダム建設が計画され、廃村へと追い込まれた住民無視の社会的問題を題材とした作品である。
舞台は多摩川上流に位置する東京府小河内村。
昭和5年に東京水道局より立案され、東京府の水がめとして多摩川を堰き止め大貯水池を造り、小河内村を沈めてしまおうと言うものである。(現在の奥多摩湖)
山間の静かな村に突如として湧き起こったダムの建設計画。それによって大きく揺れ動いた小河内村民の不安と苦悩、そして官と民の狭間に立ち、我を忘れて村民の為にわが身を捧げ尽くした村長の苦悩の日々を描いた感動の作品です。
私はこの作品を読みながら、今撮り続けている上南摩の地を当時の小河内村にダブらせていたのかもしれない。
遠い祖先から受け継いてきた大切な土地を手放さなければならない人達の計り知れない辛さ悲しさは今も昔も変わらないのではないだろうか。

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  1. 2004/11/10(水) 00:00:00|
  2. 南摩
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晩秋。

20041121160904.jpg



今月の始め頃、上南摩に行って来た。
上南摩の山にも淡い錦が降りて来ていた。しかし去年よりも鮮やかさがない。暖かかったのと台風、長雨による気候の変化の影響なのだろうか。
途中、南摩川を背にした一軒の民家が撤去のため広い屋敷に重機が入り大きな鉄の爪で次から次へと容赦なく取り壊されていた。
道沿いに広がる耕地跡にはブタクサ、ススキなどの雑草が一面を覆い尽くし荒野と化している。
梶又地区にある火の見櫓はまだ壊されずに荒野の中にぽつねんと建っている。しかしその機能がなくなり無用の長物となってしまった今、壊されてしまう運命なのであろう。
ダムサイト上流の上南摩地区に残る建物は学校跡、浅間神社、各地区の公民館、そして民家はあと数軒のみとなってしまった。今年中には全ての住居が撤去されてしまうのであろうか。そしてダムに拘わる工事が始まるのであろう。
室瀬地区には蒟蒻や蕎麦の耕作地がなだらかに広がっている。
蒟蒻は芋の取り入れが終わり、刈り取られた蕎麦が畑に積まれている。
その蕎麦畑で懐かしい風景を見た。今では殆ど見られなくなってしまった蕎麦打ち(脱穀)をお婆さんがしていた。早速カメラを取り出し撮せて頂いた。齢は82歳だと言う。
私はお婆さんと話しているうちに何故か故郷の母を想い出してしまった。
  1. 2004/11/21(日) 17:07:20|
  2. 南摩
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上南摩にて。

先週、上南摩に行ってみた。
室瀬の里の収穫はすべて終わっていた。
里山に点在する雑木林は枯葉が落ち裸木となっている。
民家の裏に立っている大きな欅の木は、まるで天に向かって竹箒を広げたよう。そして、すべての葉が落ちた枝枝の隙間からは寒々とした冬空が映っている。
以前、撮ったことのあるコンニャクの畑は畝も平らに耕され、広々とした畑の中には置き去りにされた案山子がポツンと寂しく立っている。
私は、初冬の静けさに包まれた室瀬の光景を見ながら唱歌にある”冬景色”を口ずさんでみた。

両側の山の迫ったダムサイト予定地を通り過ぎる。
右手の山裾にあった壊れかけた蔵を持つ民家もいつの間にか撤去され、裏山の杉林もすべてが切り尽くされて禿山となり、残った切り株だけが整然と並んでいる。
粟沢口にあった3軒の民家と廃屋もプレハブの集会場だけを残してすべてが撤去されている。
これで上南摩地区の集落は、ごく一部を残して完全に撤去されてしまった。
荒野と化した枯野には、村を貫く一本の曲がりくねった道があるだけである。

  1. 2004/12/20(月) 20:33:35|
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上南摩に思う。

先日、ネット上で上南摩について検索していた。
その中にある写真家のあるメッセージが目に止まった。
この方も、最近この上南摩を知ったと言う。
そして、この地の写真を何枚かご自分のホームページに載せたそうです。
ところが、先生の掲載した上南摩の写真と記事を見て早速上南摩を訪れ地元の人達の迷惑も考えずに面白半分にいろいろな写真を撮り、地元の人達とトラブッタにも拘らずその写真を自分のホームページやヤフー掲示板に載せていたそうです。
先生はこの悲しい出来事を非常に嘆き、忠告の意味でご自分のホームページにコメントされたそうです。
その後、この心無い人のホームページは削除されたそうです。
私はこの記事を見て、もしや私の事では有るまいかと思い早速先生に確認のメールを差し上げました。
すぐさま先生から返信がありました。そして私の事ではないと言うことが分かり私はとても安堵しました。
私は先生からのメールを読んでとても感動してしまいました。
ここまで地元の人達の事を思い計り知れない苦しみや悲しみをご自分の事として考え、この地を踏み躙る心無い人達に毅然とした態度で忠告されたこの先生に敬意を評したい、そして先生の目からこの地をいつまでも見続けていて欲しいと思いました。
そして、今この地を撮り続けている私もまた、この事を真摯に受け止め、地元も人達の迷惑にならぬようこれからも撮っていこうと決心致しました。
先生、ありがとうございました。
これからも宜しくお願いいたします。
  1. 2004/12/21(火) 20:08:34|
  2. 南摩
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石原雅明様へ。

先日、私も投稿しているインターネット新聞『JanJan』を久し振りに見ましたら昨年の3月6日に投稿しました「南摩・・・ダムに揺れた村。」に9月18日付けで下記のようなレスが付いておりました。
私も今まで知らずにおり大変申し訳なく思っております。
石原様にこの様な素晴らしいコメントを頂いて大変嬉しく思っております。そしてこれからもまた上南摩を撮り続ける決意を石原様から貰い受けた感じがしてなりません。
どうぞ上南摩出身のご両親様も遠い地からこの地を見守ってあげて下さい。そしていつまでもどうぞお元気で。
どうもありがとうございました。
石原雅明様、この記事をご覧になりました折にはメールなど頂ければありがたいのですが、お願い致します。


石原雅明様からのコメント

名前:石原雅明
日時:2004/09/18 17:49

はじめまして、南摩ダムの記事と写真。懐かしい気持ちで拝読いたしました。
と申すのも上南摩は私の父の出身の村であり、母の戦時の疎開先なのです。(父の生家は西之入りです)父は20歳の時就職で上京し、以来50数年間横浜の地で暮らしておりますが、父の兄2人は昨年上南摩ダムの計画に押されるように、他の地へと引越しを済ませました。
親戚もいなくなり、足は遠のくばかりですが写真の数々に懐かしい風景が一杯でした。先日父は梶又小学校にて卒業者の集いに参加してきたばかりです。
本当に忘れ去られたように静かな村で(枯葉が落ちて地面に当たる音まで聞こえましたからね)子供のときの祖父母も元気だった頃を思い出しました。このようにすばらしい写真と詩的な文章に残していただき、感謝の気持ちでメールを送らせていただきました。たいへんありがとうございました。本日帰りましたら自宅のPCで両親にも見てもらおうかと考えています。また一度村を訪ねてみたいとも思います。
乱文にてたいへん失礼致しました。次の対象も楽しみにしています。
失礼致します。


インターネット新聞『JanJan』
http://www.janjan.jp/photo-msg/0403/0403041666/1.php

  1. 2005/01/04(火) 05:43:53|
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2004 師走。(南摩にて)

2004年、師走。
この年も終わろうとする大晦日に雪が降った。
師走に入ってから2度目の雪である。
暖冬といいながらも師走に積もるほどの雪が2度も降るのはここ数年来なかったことである。
何故か例年になく寒い日が続く。

最初に雪が降った日に上南摩を訪れた。いつもの様に南摩川沿いに車を走らせる。
室瀬の里は真っ白な雪が田畑を隠し、周りの山々はうっすらと雪化粧していた。
私は車を止め、カメラを取り出してファインダーを覗いて見た。
降る雪の音だけが微かに聞こえるようでとても静かである。

室瀬から山の狭まったダムサイト予定地を過ぎると、左側に無人の工事現場事務所がある。
その脇にはバス停が立っており、今は鹿沼駅から上南摩行きの路線バスの終点となっている。
この向かい側には一軒の民家があったが撤去され、裏山の木もすべて切られて切り株だけが残る禿山と化している。
200m程行くと粟沢口で、ここにも最近まで民家が4軒あったがすべて撤去されてしまってプレハブ造りのこの地区の公民館だけが残っている。
すこし行くと、以前橋の欄干に”ダム建設絶対反対”と書かれた茅葺屋根をトタンで被せた民家が廃屋となって一軒だけ川沿いに建っている。
村の中ほど下梶又地区の民家もすべてが撤去されて荒野と化し、消防小屋と火の見櫓だけが道脇に残って建っている。
西之入り地区もすべての民家が撤去され、旧梶又小学校の校舎と浅間神社、そしてこの地区の公民館だけが残されている。
ここに来るまで、荒野と化した枯野を貫く曲がりくねった道の脇に並んで立つ電柱が何故か異様に感じてしまう。
山際に祭られていた三日月様の石灯籠と石の祠はいつの間にか無くなっている。
この近くに建っていたログ風の家具工房も暮までにはきれいに撤去されてしまっていた。
かつて上南摩の路線バスの終点があった地区には、小高い丘に立つ数基の墓地と春になると真っ赤なツツジが山の斜面を染める民家がただ一軒だけ残っているだけである。

たぶん新年度になればダム建設用の取り付け道路や工事現場事務所が所々に設けられ、既に決定されてしまった南摩ダムの本体工事が始まるのであろう。
上南摩の禿山の中腹には数箇所目立つように櫓が組まれ、赤と白に上下半分づつ塗られた標識(たぶん、ダムが竣工して満水になった時の位置を記した標識?)がダム工事の遅れを急かしている様に見えてならなかった。

                     (平成17年1月現在)
20050109121820.jpg


20050109121543.jpg



インターネット新聞『JanJan』に掲載。
http://www.janjan.jp/area/0501/0501062362/1.php
  1. 2005/01/09(日) 11:54:30|
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2005年。初夏・南摩。

buok6m.jpg



2005年 初夏・南摩
新緑の季節が終わり、南摩川沿いには田植えの終わった田が幾面も広がって周りの山々、林や森は次第に緑の色を濃くしている。苗の生え揃った田んぼには映し出された上南摩の山々を初夏の風が微かに揺らしていた。
ダムサイト予定地の下流に開ける室瀬の里は、いつもと変わらずに深緑の中にひっそりと溶け込んでいる。
南摩川を挟み込む山が最も狭いダムサイト予定地から上梶又へと向かった。
途中、水資源開発機構の管理下に置かれているためか、かつて住民の宅地であった入り口にはすべてロープが張られ、この区域内への無断入山や不法投棄を禁ずる立て札が所々に立てられていた。
この地に残された建造物は公民館、消防小屋、火の見櫓、廃校となった梶又小学校の旧校舎、浅間神社、そして開発機構の仮設の工事事務所、それ以外の建物はすべて撤去されてしまった。
村を貫く一本の道の脇には、民家のコンクリートの基礎だけが夏草に埋もれて無残な光景を曝している。
しかし、この地で只一軒だけ廃屋となった茅屋が撤去されずに残っている。
先日、この茅屋の前を通ると南摩川に掛かった橋の入口に張られた鎖が外され、茅屋の玄関や雨戸が開け放たれていた。
玄関の土間や家の中は箒で掃き清められ、茅屋の庭を覆っていた夏草も綺麗に刈り取られている。
誰もいない山の中に只一軒だけ取り残され打ち捨てられたように建っていた茅屋が何故か異様に感じられた。
私は車を降りて聞いてみた。
近々解体撤去するので、家の中に安置された仏様を新居に移すためにこれからお寺様をお迎えして供養するのだそうだ。
茅屋の薄暗い座敷の入口に整然と揃えて置かれた3足の真新しいスリッパが何故か印象的であった。その様は、これまで数十年と続いた南摩ダム水没地区住民のすべての苦悩がこれで終わったのだと3足のスリッパが諭している様にも感じられた。
そして間もなく、この茅屋の撤去と共にこの地区のかけがえのない長い歴史に終止符が打たれるのであろう。
(五月の風・TOP写真と南摩「最後の来客」より)

skihi4m.jpg




追記。
それから数日経ってこの地を訪れた。しかし、この茅屋は解体されることなく悠然と建っていた。
だが、南摩手記にも書いてあるこの茅屋の前の南摩川を隔て小高く盛られた塚(墓地)は掘り返され完全に撤去されてしまっていた。
  1. 2005/06/15(水) 00:00:00|
  2. 南摩
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「村の写真集」

先日、ネット仲間の掲示板で「村の写真集」と言う映画が各地で公開上映されているのを知った。
早速、正式なサイトへ飛んでみた。
ストリーは。

とある山間にある村・花谷村-
美しいその村が、ダムに沈もうとしている。避けられない運命に対し、村役場は、村のすべての家族を写真におさめることで、花谷村の美しさを永遠に残すことを考える。依頼を受けたのは、村の写真屋、高橋研一と東京で写真家を目指す息子の孝。なぜ父は決して親密ではない息子を、助手に指名したのか。一軒一軒、険しい山道を歩き、写真を撮り続ける2人。頑ななまでの父の背中に、しだいに息子は何かを感じ始める・・・。

私もネット上で調べただけで映画もまだ見た事がないしストリーの詳しい内容はまだ把握もしていない。
ただ、先祖より長年住み慣れた故郷を捨てなければならないダム建設に伴う運命。そして建設予定地に住んでおられる地元住民への移転問題や用地の補償問題、さらに再生活への補償問題が必ず付いて回りる。それを巡って必ずや住民の心は不安に揺れ動く。
多分、この映画ではそれによって巻き起こる様々な出来事を、写真館の頑固な父と写真家を目指す息子のカメラを通した違った視点でこの村の様子を描いているのではないかと思う。
いずれにしてもまだ作品を見ていないので空想に任せるほかない。

以前、ここで紹介した多摩川上流に位置する東京府小河内村を巻き込んだダム建設に伴う移転地や生活の補償問題を巡って村民の心が揺れ動き最終的には暴動へと発展する石川達三の書いた「日陰の村」を私は何故か想い出さずにはいられなかった。
そして、それ以上に私の目に焼きついている増山たづ子さんの写真集「故郷 ~私の徳山村写真日記」が忘れられない。

そして今、私が3年程前から拘って撮り続けている、上南摩地区。
ここもダム建設の是非を巡って未だ揺れ動いている。水没する地域の補償問題は数年前に和解合意して最近この地区の住民の全てが代替地に新居を得て離村が終わりました。
しかし、ダムサイト直下域の住民に対してはまだ和解も得られずに揺れ動いています。
私にはこの映画の舞台となった花谷村と上南摩地区が同じ境遇の様で、どこか意味通ずる”何か”があるのではないかと思う。
その為にも是非、この作品を見て感動したいと思っています。
ただ、上映公開予定地として栃木県が入っていません。ダム建設問題で未だに揺れ動いている地区を持つ栃木県でも是非、この素晴らしい「村の写真集」を公開上映して頂きたいと思うのであります。

「村の写真集」のサイトにあるBBSに私の投稿記事も載せて頂きましたが、そこでこの作品が栄誉ある”上海国際映画祭で最優秀作品賞と最優秀男優賞を受賞”したとの記事と受賞を喜ぶ声がたくさんありました。
栄誉ある受賞本当におめでとうございます。

「村の写真集」の公式サイトはこちらです。
「五月の風」のTOPページにもリンクが張ってありますので是非ご覧になって見てください。
  1. 2005/06/20(月) 22:24:16|
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2005年・師走・風のつぶやき!南摩にて

枯野に建つお堂


遠く西の空には、日光連山を背に前日光の山々が山襞を重ね合わせて連なっている。
今年も冬の訪れが早く、中旬頃から日光の山々を白く染め、そして今日も又、黒い雪雲が奥日光の山々を包み込んでいる。

久しぶりに上南摩を訪れてみた。
3年間通ったいつもの道、いつもの景色をうつろに眺めながら車を走らせる。
室瀬の里はコンニャク芋の収穫もすでに終わり、山間に差し込む冬日の中でひっそりと息づいていた。
南摩川を渡り、山の狭まったダムサイト予定地を通り過ぎる。
半年前と変わらず建造物は全てが撤去され、道沿いにかつてあった宅地跡や田畑の跡地には背丈程もある冬枯れした雑草に全てが覆われている。
最後まで残っていた茅葺の民家、道脇にあった薬師堂とかつての店、荒野にぽつねんと建っていた一宇のお堂、そして小学校の前にあったお堂、それら全てが私の心の中に残像として今でも鮮明に焼きついている。
しかし、それらは今はもう無い。
只、貴婦人の様な火の見櫓、旧梶又小学校跡、荒れ果ててしまった浅間神社と公民館などの公共施設等はまだ撤去されずに残されている。
木造の旧梶又小学校跡は廃校当時のままで、荒れた校庭の隅には鉄棒やジャングルジムが錆び付いたまま放置されている。
”がら~ん”とした抜け殻のような静寂な迄の校舎、誰もいない校庭に立と今にも学童達の元気な歓声が聞こえて来るようだ。
そして、いつも出迎えてくれ置き去りにされた猫達も寒さのせいか姿を見せてくれない。
多分、校舎裏の”棲家”で背を丸くして寝ているのであろう。
帰り際、火の見櫓の前で車を止めた。
眼前には、冬枯れした荒野が山際まで広がっている。
かつて、ここには一宇のお堂が建っていた所である。
2年前の春、山の端から一筋の光芒がお堂に差込み、荘厳ともいえる様な光景を見た。
しかし、そのお堂は今は無い。只、西日に輝く枯れたススキが白く光っているだけである。

俄かに薄墨を垂らしたような暗雲が太陽を隠し、眼前に広がる枯野を風花が舞う。
そして耳を澄ませば、広い枯野を渡る風が”ヒュ~ッ”とつぶやいていた。

枯野

上南摩「写真集」
上南摩「手記」


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  1. 2005/12/26(月) 00:00:00|
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2006年・初春・風のつぶやき!南摩にて

西之入地区にて

年が明け、例年の如く上南摩に足を運んでみた。
上南摩の様子は2005年の師走に書いたとおりである。
今日は一番奥の西之入地区へ行ってみた。
細い道には、所々雪が解けずにうっすらと残っている。
この地区も全ての建物や墓地などが既に撤去され荒野と化している。
昨年の春、梅の咲く頃この地で偶然に行き会った二人の女性を撮った想い出の場所でもある。
そして、今年もまた偶然と言おうかこの同じ場所で散歩中の夫婦に出会った。
全てが離村し、地図上から抹殺されてしまったような誰もいない山深い山里で偶然にも同じ場所で撮影出来るなんて奇跡としか言いようがない。
私は咄嗟にカメラを向けた。
そして、カメラを向けたお詫びに夫婦に一礼し、夫婦もまた私に一礼をしながら通り過ぎて行った。
確か、粟沢に一台の車が置いてあった。
多分、ここまで二人で歩いてきたのであろう。
粟沢からここまでは2Km位はあるだろう。
ここは夫婦にとって想い出のある場所なのだろうか。

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  1. 2006/01/06(金) 21:28:56|
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2006年・初春・風のつぶやき!南摩にて(二)

浅間神社・祭壇

旧梶又小学校跡から少し行くと左手の山際に浅間神社が鎮座している。
ここも、未だ撤去されずに残されているが、かなり荒れてしまっていた。
悠然と建っている鳥居に塗られた朱も剥げ落ち、鳥居を支えている貫穴なども朽ちてしまい、今にも倒れそうな感じがする。
脇にある建物も吹き晒されて、床には杉の枯れ葉が散乱している。
中に祭られた祭壇もひどく荒れてしまって見る影もない。
以前あった大きな絵馬などは既に取り外されてしまっていた。
鳥居から奥社へと続く石段は枯れ葉に埋れ、その両側には狛犬が一対、以前と変わらぬ険しい表情でこちらを見据えている。
ここにある一本の大きなイチョウの木はすべて葉を落とし、その枯れ葉が絨毯の様に敷き詰められていた。
そして、前を流れる枯れ切った南摩川にもその枯れ葉が降り積もっていた。
私はこの光景を前にして、浅間神社が多分撤去される運命にありながらも、時間と共に朽ち果ててゆく果かない寂しさ、そして切なさを感じずにはいられなかった。

浅間神社

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  1. 2006/01/07(土) 21:21:47|
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2006年・初春・風のつぶやき!南摩にて(三)

ダムサイト予定地

南摩ダムのダムサイト予定地を訪れてみた。
この場所は、室瀬地区の集落から南摩川に懸かる橋を渡った所にある。
昨年の秋頃までは、一軒の民家が狭い道を背にして川沿いに建っていた。
しかし、今は撤去されて何もない。
この場所は両側が山に挟まれていて、ダムサイトには一番適した場所なのだろう。

上南摩
南摩写真集(新作「冬げしき」)

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  1. 2006/01/20(金) 20:52:09|
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沈みゆく村。

今日、ネット新聞の訃報の見出しに増山たづ子さんの訃報が掲載されていた。
増山さんは徳山ダム建設で離村されてゆく徳山村の様子や村人たちの写真を30数年に渡って撮り続けられ、”故郷”などの素晴らしい写真集を出版された有名なアマチュアカメラマンである。
私も以前、増山さんの写真集を拝見した事があるが、アマチュアの目で捕らえられた屈託の無い村民たちの明るい表情を捉えたカメラアングルに何故か感動した覚えがある。
そして、30数年間この徳山地区を撮り続けられた増山さんの強い熱意にも感動させられた。
その増山たづ子さんが今月7日、88歳の生涯を閉じられた。(合掌)
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  1. 2006/03/09(木) 20:57:45|
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「廃村と過疎の風景(2)」

全国を旅して、国内に残る「廃村と過疎の風景」を撮り続けているHEYANEKOさんが「廃村と過疎の風景(2)」の冊子を発行されました。
この偉業は日経新聞でも紹介されたそうです。
ご興味のある方は是非読まれたら如何でしょうか。

「廃村と過疎の風景(2)」の冊子のご案内
HEYANEKOさんのホームページ

ホームページには私が撮り続けている”上南摩”にも訪問され素晴らしい紹介がされています。

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  1. 2006/04/19(水) 20:30:47|
  2. 南摩
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’07 盛夏 南摩からの便り




酷暑といえる茹だるようなアツ~イ日々が続いている。
昨日からはお盆休み。17日までの5日間の休暇である。
久々に、カメラを携えて数年前まで通い続けた上南摩へ出かけてみた。
途中にはダム工事用のためか、付け替え道路が途中まで出来ている。
道脇の干乾びた畑には、芽が出たばかりの蕎麦が植えられている。
そして、いつもの通り室瀬の里は山襞の中でひっそりと静まりかえっていた。


関連記事
「南摩」


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  1. 2007/08/14(火) 16:02:26|
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’07 彼岸花 in南摩

彼岸花


秋晴れに誘われて、2ヶ月ぶりに上南摩を訪れた。
道脇に広がる田んぼは秋の収穫も終わり、刈り取られた株には”ひこばえ”が生えている。
所々には、真っ白な花を付けた蕎麦が畑一面を覆っていた。



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  1. 2007/10/08(月) 07:25:05|
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上南摩にて

火の見櫓


久々の投稿であるが、3月中頃から会社の決算で毎日帰りが遅く、また4月に入ってからは自治会の三役に指名され、地区にある神社の春祭りの準備、そして新役員の会合とやらでなかなか自分の時間が取れずにいた。
そんな中、いつも気になっている上南摩地区に2ヶ月ぶりに行ってみた。新年度に入って最初の訪問である。前回は多分2月に行った覚えがある。
ここ1年ほど変わった動きは無く、ダムサイトの地質調査のためかボーリング工事をしているのみであり、それに並行してダム建設のための道路の拡張工事が所々で行われていた。
室瀬の里に架かる最初の橋まではすでに道路の拡張工事は終わり、ダムを迂回する道路の工事も途中まで済んでいるようである。
室瀬の里の中ほどにあった古びた神社も手前のほうに移築されて新しくなっていた。
奥まで行って驚いたことは、梶又地区にただ残されていた火の見櫓と消防小屋が既に撤去されていた事である。
いつも行く度に、私を遠い故郷へと誘ってくれたこの火の見櫓に出会えることが私の楽しみでもあった。
そして、長年上南摩梶又地区を見守ってきた貴婦人のような火の見櫓ももう見ることも出来ないのだろうか。






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  1. 2008/04/27(日) 21:06:49|
  2. 南摩
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上南摩 リニューアル

上南摩

私のメインサイト"五月の風"に載せていた写真集"上南摩"をリニューアル。
Movable Typ 4.2バージョンで作成しています。
まだ未完成ですがブログの他にインフォメーション、今までに撮り溜めた写真集、手記等を掲載していく予定です。

リニューアルバージョン ”南摩”




  1. 2008/12/20(土) 16:09:02|
  2. 南摩
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上南摩にて 初春

上南摩

2009年に入って上南摩地区に行ってみた。
途中、室瀬地区では恒例のどんど焼きの櫓が田んぼの中に組まれている。
改修中の室瀬橋を渡ると冬晴れの中に室瀬の里はひっそりと静まりかえっていた。
室瀬を過ぎ、上南摩地区のダムサイト予定地付近では工事用道路の拡張の為か山の立木が切ら
れ始めている。
ダムサイト付近を過ぎると、昨年では見られなかった光景が広がっていた。

詳細は”南摩・上南摩にて”をどうぞ

  1. 2009/01/12(月) 16:49:56|
  2. 南摩
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南摩ダムレポート4月

4月中旬に上南摩に行ってきた。
新緑に包まれた山々は目にまぶしいほどであった。
室瀬の集落を過ぎると、右手の山肌は杉の木がすべて伐採され切り株だらけの異様な光景に包まれていた。

上南摩・粟沢口付近

詳しくは、「南摩・上南摩にて」に掲載してあります。



テーマ:栃木県 - ジャンル:地域情報

  1. 2009/04/26(日) 13:45:19|
  2. 南摩
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破壊 ・・・ 崩れる山河

上南摩

現在建設中の南摩ダムの様子をモノクロ写真に撮ってきました。
私のサブサイト”南摩・上南摩にて”の写真集に掲載しました。


南摩・上南摩にて

テーマ:写真集 - ジャンル:写真

  1. 2009/05/10(日) 07:54:15|
  2. 南摩

南摩ダムレポート6月

室瀬の集落よりダムサイト方面


栃木県鹿沼市上南摩地区に建設中の南摩ダムの工事の様子をレポートしてきました。
ダムサイト周辺の付帯工事が本格的に始まり、以前の面影がなくなりはじめました。

詳しい情報は「南摩・上南摩にて」に掲載してあります。



テーマ:栃木県 - ジャンル:地域情報

  1. 2009/06/10(水) 22:14:55|
  2. 南摩
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手記 上南摩

上南摩

2003年9月から上南摩地区を撮りはじめ、この地で感じたことを書き綴った「手記 上南摩」の編集がすべて終わった。
所々に上南摩地域で撮った写真を織り交ぜて綴ってあります。


手記 上南摩

南摩・上南摩にて

テーマ:写真と想い - ジャンル:写真

  1. 2009/06/28(日) 22:25:05|
  2. 南摩
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上南摩にて

旧梶又小学校とアジサイ

7月に入って上南摩地区を訪れてみた。
南摩ダムの工事は今、南摩川の仮排水用のトンネル工事が始まり、周辺の県道の付け替え工事も平行して進んでいるようです。
火の見櫓や公民館の建物なども既に撤去され、この地区でただ一つの建造物となった旧梶又小学校は今も変わらず、荒れた校庭の中に建っていました。

工事の様子は
「南摩・上南摩にて」をご覧ください。


テーマ:写真と想い - ジャンル:写真

  1. 2009/07/05(日) 17:10:56|
  2. 南摩
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南摩にて 2009年8月

上南摩


昨日、1ヶ月ぶりに上南摩を訪れた。
目的は南摩ダムの工事の様子を写真に撮るためである。
南摩ダム周辺の工事は、先月と同じく完成に向けて着々と進行していた。
しかし、今回は思いもよらぬ出来事に出会った。

室瀬で里の様子を撮影していたとき、数台の警察の車両が通過したのを目撃した。
しかし、車両のナンバーがすべて鹿児島ナンバーであったのでちょっと気になっていた。
途中、上南摩を撮影しながら旧梶又小学校を通過したとき、先ほどの警察の車両が校庭に数台駐車していた。
そして数十名の警察官が手に棒を持って道路周辺の藪を掻き分けて何かを探している様であった。
私は、徐行しながら通過していつも行く南摩川の源流地向かった。
そして、帰り掛けに旧梶又小学校から歩いてきた数名の警察官に出会った。
私は、徒ならぬ様子に警察官に「何かあったのですか。」と声をかけて見た。
すると、警察官から意外な事実を知らされた。
それは、最近鹿児島県内で起きた失踪事件関連の捜索をしているとの事であった。
また、この失踪事件の捜索範囲は鹿沼市の北西地域まで及んでいるとの事であった。

その内容は明らかではないが、この上南摩地区はダムの建設のため廃村となり、工事が始まるまでは人の近づき難い荒廃された地域であったからではないだろうか。
いずれにしても、この物騒な事件の早い解決を願っている。

上の写真は南摩ダムによる南摩川支流の写真で、水没する山裾の階伐の様子です。
後日、mysite「南摩・上南摩にて」に掲載する予定です。

テーマ:栃木県 - ジャンル:地域情報

  1. 2009/08/05(水) 21:40:41|
  2. 南摩
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室瀬の里にて

南摩ダム建設で移築を余儀なくされた上南摩の室瀬地区。
青々としたコンニャクの葉で覆われた室瀬の里、ここの今の様子を撮ってきました。

室瀬地区

南摩ダム・上南摩にて」に掲載しました。


テーマ:日本の原風景 - ジャンル:写真

  1. 2009/08/12(水) 21:21:05|
  2. 南摩
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南摩ダム

南摩ダム工事


八ッ場ダムの建設中止の表明。
前原国交相は全国で建設や計画が進んでいる143のダムなどについて 順次見直していく と表明。
この見直し表明によって、栃木県鹿沼市上南摩地区に独立行政法人水資源機構思川開発建設所で建設中の南摩ダムでも今後のダム工事事業の行方が注目されている。

写真は南摩ダム建設のための付帯工事の様子を上南摩地区の粟沢付近から9月に撮ったものです。

南摩ダムについての詳細は”南摩ダム・上南摩にて”で紹介しています。

テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真

  1. 2009/09/20(日) 12:46:24|
  2. 南摩
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南摩にも秋の気配

先週、初秋の上南摩を訪れてみた
南摩川沿いの田んぼは黄金色に染まり、熟した稲穂は豊作を意味するかのように、こうべを重そうに垂れている。
そして、田畑の畦には真っ赤な彼岸花が固まって咲いていた。
上流に向かうと、田畑は一面の黄金色から白へと変わってくる。
山沿いの痩せ地に耕作するという蕎麦の花は、ここ室瀬の里を白一色に染め抜いている。

室瀬の里にて

室瀬にて

室瀬を過ぎ、上南摩地区の南摩ダムの工事の様子を見ながら梶又地区へと向かう。
所々で工事用道路の拡張工事が行われている。
道路幅は以前と違って大型の工事車両やダンプカーが優にすれ違えるほどの道幅のある舗装された立派な道路である。
県道より南摩川の支流に沿って林道へと入ってみた。

南摩川

途中、山際に山栗があるのを見つけ車を降りてみた。
道路には栗のイガが無数に落ちており、ぱっくりと開いたイガには小さな栗の実が詰まっていた。
周りには栗の実が沢山散らばっている。

昔、私が子供の頃、よく山に行っては栗拾いをしたものである。
山栗は、里栗に比べて粒は小さいが甘さが違う。生で食べても美味しい、栗飯には最高である。

そんな事を想い出しながら栗拾いに熱中してしまった。
しかしである。
奥山の山が削られて、木が切られ、自然環境の変化した山に住む先住民(動物)たちにとって、山の恵みが減少している現在、この山栗は最高のご馳走なのではないだろうか。
数年前、この地で山猿が数匹遊んでいるのを見たこともあり、熊も出るとの事。
些細なことではあるが、この山の恵みを私が採ってしまうことは、山に住む動物たちの最高の楽しみを奪ってしまうのではないか。
しかし、今、この栗を私が拾わなければ、ここに来る他の人たちに拾われてしまう。
その様なことを頭に浮かべ、動物たちには申し訳ないがすべて私が拾ってしまった。


この林道の奥は前回”南摩ダム・上南摩にて”で紹介した場所で、林道の両側の山は、天頂部を残して階伐されていた。

階伐された山々

テーマ:栃木県 - ジャンル:地域情報

  1. 2009/09/25(金) 21:24:56|
  2. 南摩
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上南摩・粟沢にて

上南摩・粟沢

南摩ダムは政権交代によるダム建設の見直しで、今年度中は新たな段階には入らないとし、一時凍結となった。
その後、数ヶ月ぶりに粟沢の奥に入ってみた。

詳細は南摩ダム・上南摩にてをご覧ください。

テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真

  1. 2009/10/18(日) 17:35:13|
  2. 南摩
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南摩川支流にて 師走

南摩川の支流

上南摩地区に建設中の南摩ダムにより水没する南摩川支流の様子をリポートしました。
民主党の無駄なダムの見直しにリストアップされた南摩ダムは次年度の工事を凍結されました。
現在、今年度までに締結された工事が進行されています。
南摩ダム建設に伴う付帯工事で上南摩地区のダムサイト周辺の山容は大きく変りました。
山は削られ、木は階伐され、山にトンネルは掘られ次年度以降この上南摩地区はどの様になるのでしょう。

上南摩地区の様子は”南摩ダム・上南摩にて”に掲載中です。

テーマ:なんでも.栃木.! - ジャンル:地域情報

  1. 2009/12/19(土) 21:12:32|
  2. 南摩
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