”廃村の無縁仏や彼岸花”
暑かった夏も過ぎ、上南摩にも爽やかな秋の風が吹いている。
離村して荒野と化した田畑の中に古い墓地がある。
ほとんどが離村の為移転地の墓地へ改葬されたが、只一基だけ荒れ果てた墓地に残されていた。
無縁となってしまった墓には誰も花など手向ける者は居ない。
只、真っ赤な曼珠沙華が墓地を囲むように咲いているだけであった。
季語 彼岸花(秋) (04/09/15)
”唐松の光の中の秋思かな”
奥日光の光徳牧場を訪れたとき牧場に通づる唐松の小径を歩いてみた。
黄葉した唐松ははらはらと散り始め、その落ちる様は夕陽に輝き、丁度黄金の針を空から撒き散らした様に光輝いていた。
そんな中をさも憂鬱そうに歩いている自分の姿を詠んでみました。
季語 秋思 (秋) (02/11/15)
”牧閉じて唐松の径まっすぐに”
唐松が黄金色に色ずき牧場の牛達が草を食んでいた。
ここの牧場はまだ閉じられていないが唐松が落ち切って木枯らしが来る頃には長い冬を前に牧場も閉じられてしまうのだろう。
唐松の降りしきる林の中を横切る道がとても悲しそう。
奥日光光徳牧場にて
季語 牧閉じて(秋) (02/10/19)
”ちゃぶ台に夫婦茶碗や秋の夜半”
10月半ば朝夕の寒さが身に沁みる季節となった。
夜ともなればゆっくりと湯に浸かるのが唯一の楽しみつい長湯となってしまう。
夜も更けて時折屋根を打つ栗の実。そして振り子時計の静かな音。
妻の煎れてくれたお茶を飲みながら静かな秋夜を楽しんでいる。
季語 秋の夜半 (秋)(02/10/13)
”稲架刺してどかっと地べたへ老父かな”
仕事で山間の道を走っていた。
真っ青に晴れ渡った秋空、山間に広がる稲田は黄金色に輝いている。
あちらこちらでコンバインが稲を刈っている。
そんな中、小さく区切られた稲田に腰を曲げて老夫婦が稲を刈り取っていた。
道脇に車を止めて耳を澄ますと「ザック、ザック」と歯切れの良い鎌音が聞こえてくる。
その瞬間、私は30数年前に戻っていた。
親父とお袋そして私、晴れ渡った真っ青な空の下、私とお袋は稲を刈っている。
親父は稲を架ける稲架を作っている。
稲架棒を地面に突き刺し二又に組んでは荒縄でしっかりと括り付けている。
「おお〜い、一服すっぺ〜っ。」
親父は持ち掛けた稲架棒を地面に突き刺し、疲れたのか”どっかり”と土手に腰を下ろす。
そして、遠く山並みを見詰め皺がれた手からは紫煙が揺れていた。
季語 稲架(秋) (03/09/21)
”廃校に来て口ずさむ里の秋”
栃木県北の昔分校のあった想い出の場所に来てみた。
もう30年も前の事であり、廃校になり取り壊されていると思っていた。
車を降りなだらかな坂を登る。
校門の門柱は当時のままである。
坂を登り切ると目の前に当時のままの校舎があるではないか。
突然、タイムスリップした錯覚に襲われる。
トタン屋根、風雪に耐えた杉の下見板、錆付いた掲揚ポール、軒下のベル、昇降口などなど。何もかも変わっていない。
校庭に佇むと懐かしさのあまりか目が潤んできた。
校舎を見渡せる高台に上って見た。
誰も居ない校庭からは当時の子供たちの黄色い歓声が聞こえてくるようである。
そして秋めいた風が私の頬をかすめ去っていく。
季語 里の秋(秋) (03/09/21)
葦沼に 船棹揺れる 冬茜
栃木県藤岡町にある赤麻遊水地。
ここは明治時代に民営化となった足尾銅山から流れてくる鉱毒の沈殿池として造られた遊水地です。
今の時期、広大な遊水地は枯れ葦に覆われ寒風に揺れておりました。
荒涼とした葦原の中の沼には今は使われずに半分水に浸かった釣り舟が茜色に染まった水面を漂わせていました。
季語 冬茜(冬) (03/01/29)

上南摩にて
”廃屋を埋め尽くしてる柿落ち葉”茅葺屋根にトタンを被せた民家が薄暗い杉山を背に廃屋となって只一軒だけ南摩川沿いに建っている。
その民家の裏手にある一本の柿ノ木はすべての葉が落ち、木守となった柿の実だけが晩秋の夕陽を受けて赤々と輝いている。
季語 柿落ち葉(秋) (04/11/25)
”大枯野ぽつりと灯る火の見かな”最近、何故か拘って撮り続けている場所がある。
巷ではダム建設が必要か否か問題になっているがこの地方も未だに揺れ続いている。
結果的にはダム建設続行? かと私もいくらかの関心は持っていた。
兎に角、遅ればせながらも興味を持って現地に行ってみた。
山肌は下半分が伐採され、異様な杉山を造っている。
大半の家屋は取り壊され跡形も無い。
残っているのはコンクリートの基礎のみである。
今も重機が入り家屋が無残にも壊されてゆく。
田畑は荒れ果て枯野と化している。
その枯れ野を横切るかのように道がくねって奥へと続いている。
その道端には村を長年見続けてきた一基の火の見櫓が天に向かって寂しそうに建っていた。
いずれは壊される運命なのだろう。
その火の見に灯が灯る夕暮れ、廃屋に残された犬が人の気配を感じて寂しく鳴いていた。
季語 大枯野(冬)(03/12/12)
”文机も熟柿の方へ向けてあり”
季語 熟柿(秋) (04/11/28)
先月、仕事で山里のあるお宅に伺った。
門構えの大きなお屋敷で昔風の民家である。
門をくぐると左手に手入れの行き届いた立派な庭がある。庭の中ほどには池が掘られその奥に土蔵が建っている。蔵の脇には一本の大きな柿の木があり、蜂屋柿であろうか赤く色付いた実がたわわになっている。
池に面した部屋の障子は開け放たれ、部屋の奥まで日が差し込んでいる。
部屋の隅には小さな文机がありその上には眼鏡が置いてある。そして奥には蒲団が敷かれていた。
”蕎麦刈りて畝なだらかや煙たつ” 季語 蕎麦刈り(冬) (04/12/06)
”雪嶺や学童の列真っ直ぐに”
季語 雪嶺(冬)(03/02/22)
私が小学生の頃だから昭和30年代、毎朝登校のためにお決まりの場所へ小学生達が集まってくる。
冬の寒い朝などは真っ赤になった頬や両耳にしもやけた手をあてがい、吐く息を白くさせながら田の畦道を一列になって集団で登校する。
冬晴れの朝、真っ青な空の下、雪を被った那須の山々が真っ白に輝いていた。
真っ白な那須連山を見るたびにそんな昔の光景が頭を過ぎる。
”冬銀河G線上のアリア聴く”
新年を迎える句も詠めず、今年もあと僅か。
何とか創らなくてはと気を焦りながら部屋の窓から冬空を見上げる。
冴え渡り、凍てつくような寒空には満天の星。
私の好きな”J.Sバッハ”の「G線上のアリア」を聴きながら夜空に流れる銀河を見つめていた。
季語 冬銀河(冬)
”酒屋の灯消えていてをり聖夜来る”
今日はクリスマスイブ。
夕刻の街にはクリスマスに因んだ音楽が溢れ人々は小脇にプレゼントを抱え足早に我が家へと急いでいる。
もうかれこれ二十数年も前の想い出であるが仕事で帰りが遅くなってしまった。
私の帰りを今か今かと待ちくたびれている事だろうと思いながら車を走らせていた。
通りすがる家々ではツリーに灯が点り家族団らんの時を過ごしている光景が目に浮かぶ。
私はせめてもの償いにとワインを買おうと酒屋の前に車を止めたが酒屋のシャッターは下ろされていた。
今は終日営業のコンビニがあるからこのようなことは無いと思う。
季語 聖夜(冬)