



2回前のコメントで「江戸時代、この池は室の八島として下野国外まで知られていました。」と書きましたが、この池は室の八島という名称から想像して、後世作られた人工の池で、こんなものが本来の室の八島ではありません。
この神社もそのように考えていました。そして神社は室の八島を本来の室の八島に戻そうとしました。神社は、神社のある地域一帯、この神社のあるかつての総社村一帯は、かつて栄えた室の八島の集落であり、それが本来の室の八島であると考えていました。
そういうことなら神社は惣社村全体を室の八島とすべきですが、神社の境内一帯が本来の室の八島であるとこじつけました。つまり神社の権威付けのために、室の八島という名所を神社が独占しようとしたわけです。
これが[奥の細道]で曽良が紹介している室の八島の正体です。
もちろん神社の言うこんな馬鹿げた話を土地の人は誰も相手にしません。相手にしたのは[奥の細道]を読んで、そこに書かれてある室の八島を信じた無知な連中ばかりです。もとをただせば室の八島とは神社であるなどと言っているのは[奥の細道]だけです。と言っても曽良はこの神社の由緒書きの内容を紹介しているだけですが。
前回のコメントで「芭蕉らが訪れた当時、神社の室の八島などというものは存在しなかったのです。」と書きましたが、その理由がこれでお分かりになりましたでしょう。
そこで肝心の[奥の細道]室の八島の段には室の八島がどのように紹介されているかですが、
道連れの曽良が、室の八島とは一般に知られている八つの小島のある池のことではありません、実は神社(の神域、境内一帯)のことですと芭蕉に紹介しています。つまり芭蕉らが訪れた当時、神社の室の八島などというものは存在しなかったのです。 神道家である曽良は神社に騙されているのです。曽良は(言い換えれば神社は)祭神木花咲耶姫の故事に絡めて室の八島の由来を説明していますが、そもそも木花咲耶姫がこの神社の祭神になるのは、芭蕉らが訪れるちょっと前、江戸時代です。
遅くなって申し訳ありません。
室の八島へのコメント大変参考になりました。
これからも宜しくお願いします。
[奥の細道]と[蝶の遊]は、室の八島とは神社境内にある八つの小島のある池ではない、神社(の神域)であるとしていますが、環境庁・栃木県の案内板では池であるとしています。
さて江戸時代の室の八島はどちらでしょう?
答え:環境庁・栃木県の案内板が正解です。この神社も池を室の八島としています。江戸時代、この池は室の八島として下野国外まで知られていました。そして貝原益軒なども訪れています。室の八島を神社と思っているのは、山崎北華のように[奥の細道]の影響を受けた人達だけです。
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