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奥の細道 今市

木像


今市の日光例幣使街道と日光街道の合流地点に追分地蔵が祭られている。
分岐点に安置されているので追分地蔵と呼ばれている。
もともと日光含満が淵(がんまんがふち)にあったものが大谷川の洪水で流され砂に埋もれていた。
ある日、石屋が大石と間違えて地蔵の背中にノミを入れたところ、真っ赤な血が流れた」という伝説のある地蔵尊である。

この追分の二軒手前に私の父の生家がある。
もともとが米屋であり、今は燃料店を営んでいて今市市民への燃料供給に寄与している。
この樋山家には上の写真にもある古い木造の坐像が四体あり、家主の話では家康像ではないかとも云われていて、樋山本家のご神体として大切に祭られている。
聞いた話では数十年前に旧今市市からも調査依頼があったそうである。(写真は私が20歳のころ、36年前に撮影)






また、この様な話も古くから伝えられている。
私が小さかったころ、父が自慢しながらよく話してくれた。
日光大谷川に掛かる神橋に伝わる伝説である。
その昔、日光を開山した勝道上人が大谷川を渡ろうとしたところ、激流に阻まれて渡ることが出来なかった。
その時、二匹の大蛇が現れて橋(山菅の蛇橋)となり無事勝道上人は向こう岸にたどり着く事が出来たという伝説であるが、このとき、大蛇の上に菅を掛けたのが樋山家の祖先だという。その名前は”草掛け長兵衛”として今も樋山家に伝えられている。
しかし、この伝説には疑問点も多く”草掛け長兵衛”というのは文献に記されている石工”橋掛け長兵衛”を間違って伝えたのではないかと思う。
だが、樋山本家(樋山盛久当主)の墓地には”長兵衛”と刻まれた古い石碑が今でも残っている。

神橋
山管蛇橋(やますげのじゃばし)という別名もあります。これは、天平神護2年(766年) この地に、勝道上人(しょうどうしょうにん)が二荒山(ふたらさん)(男体山(なんたいさん))で修行をするために訪れた時に、大谷川(だいやがわ)の急流に行く手を阻まれてしまった時に、神仏に加護を祈ると深沙大王(じんじゃだいおう)が現れ、赤青2匹の蛇で両岸をつなぎ、その背に山管を生やし勝道上人を対岸に渡したという伝説からきています。

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テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/07/17(月) 05:28:36|
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