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風のつぶやき! 南摩ダム・日帰り温泉などの情報

風の吹くまま、気の向くままに!

奥の細道 殺生石(二)

殺生石全景


殺生石の手前には「賽の河原」といわれる草木も生えぬ荒涼とした風景が広がり、岩の間からは鼻を付く硫黄の臭いが漂ってくる。
そして、遊歩道の左手には千体地蔵が折り重なるように並び立っている。手を合わせ天を仰ぐ石仏たち。その祈る様は悲痛にも似た形相の凄さに何故か圧倒されてしまう。
殺生石の案内


千体地蔵


昔、教伝という僧侶が、那須へ湯治に出かける際、母のすえたお膳を足蹴りにした天罰によって殺生石の火の海地獄に落ちて死んでしまった。この伝説にちなみ千体地蔵を建立して交通安全と家庭平和を祈願した。
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奥の細道紀行




源翁和尚の碑


源翁和尚
昔、栃木県那須野ヶ原に殺生石というものがあり、怪異をなしていました。源翁という僧がこれを聞き大きな金鎚でこれを割って、悪霊を取り除きました。これから金鎚をゲンノウとも呼ぶようになったと言われています。

九尾の狐伝説
昔中国や印度で美しい女性に化けて世を乱し悪行を重ねていた白面金毛九尾の狐が今から八百年程前の鳥羽天皇の御世に日本に渡来しました。この妖狐は「玉藻の前」と名乗って朝廷に仕えた日本の国を亡ぼそうとしましたが、時の陰陽師阿部泰成にその正体を見破られて那須ヶ原へと逃れて来ました。その後も妖狐は領民や旅人に危害を加えましたので朝廷では三浦介、上総介の両名に命じ遂にこれを退治してしまいました。ところが、妖狐は毒石となり毒気を放って人畜に害を与えましたのでこれを「殺生石」と呼んで近寄ることを禁じていましたが、会津示現寺の開祖源翁和尚が石にこもる妖狐のうらみを封しましたのでようやく毒気も少なくなったと語りつたえられています。


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テーマ:写真俳句 - ジャンル:写真

  1. 2006/09/02(土) 06:57:08|
  2. 奥の細道
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